10月24日

午前 クラスカフェ

今日はふれあい祭り前の唯一のクラスカフェです。

委員長の指示のもと、大東・学研都市校自主制作ドラマ「野崎まいり」を練習します。

落語劇は前回の練習と合わせて二回目でしたが、なかなかのものでしたね。

皆さんお上手。

次は全員で、舞台に上がって準備するところから、歌い終わって終了するまで、通し稽古をしました。

野崎小唄も「しっかりと声を出しましょう」との指示を受けて声が響くようになってきました。

本番まで、全員での練習はありませんが、

大東・学研校らしい楽しい舞台になりそうです。

午後 枚方長尾の街歩き

午後は学研都市線の長尾駅から街歩きです。長尾駅に集合し、枚方観光ボランティアガイドの皆さんに班ごとにお世話になります。

まずは長尾駅の南側にある正俊寺です。ここは曹洞宗の禅寺です。初代大坂町奉行の旗本久貝正俊を弔うために、息子の正世が1649年に建立しました。当時荒廃していた長尾村を再興しようと努力した正俊ですが、13家族しか集まらなかったそうです。

門前にあった八体佛、これは生まれ年の干支に因んだ守護本尊佛だそうです。ご自分の干支の守護佛を探してください。


ここがご本堂。

本堂左手にある十三重塔です。讃良郡中野村(現四條畷市)の正法寺にあった1326年に作られたものを移転したようです。

昭和45年に大阪府有形文化財に指定されました。

続いて菅原神社(長尾)です。ここは久貝正俊の子正世が、京都長岡天神の分霊を受けて造営しています。

鳥居をくぐれば

本殿です。

本殿右手にあった樹。葉っぱが少し変わっています。天台烏薬といい、かの昔の秦の皇帝が不老不死の薬を求め、徐福一行が日本で見つけた樹だそうで(?)、大阪で自生しているのはここだけだそうです。(ただし不老不死の薬ではありません)


次に向かったのは「伝王仁墓」

この王仁博士は漢字を伝えた人として有名です。

ここが百濟門。王仁博士は4世紀に朝鮮百濟から日本にわたり、儒学や漢字を伝えてくれました。

手前の石が墓石と言われています。もともとこの石は「鬼の石」といわれ、村人が祈ると歯の痛みが止まったとの信仰があったそうです。

この墓には韓国の修学旅行生が訪れていました

王仁博士が伝えた儒教の代表的な経典の「論語」、その初めの文言が書かれた碑です。

書いたのは、かの「青天を衝け」の渋沢栄一翁でした。

こちらは同じく王仁博士が伝えた「千字文」

四字の漢字が合計で千字程書かれています。

こちらは平成18年に書かれています。

書の大家によるものです。

最後に訪れたのは旧田中家鋳物民族資料館。旧田中家は北河内で唯一、正式に営業を許可された鋳物師でした。

最初に田中家、そして鋳物づくりの説明を聞きました。この住居は江戸時代の住居です。屋根は茅葺ではなく本瓦葺きです。火を使うので、茅葺にはしなかったようです。

館内には鋳物づくりの様子が展示されていました。

実際に手に取ってみることもできました。「踏鞴(たたら)」も模型展示されていました。「もののけ姫」もたたら製鉄でしたね。

こちらは住居。1700年代に作られたようです。

かまどもありました。時代劇ではおなじみの台所ですが、今はダイニングキッチンに代わり、見られなくなりましたね。

土壁に格子窓が規則的に配置されています。江戸時代は家屋には窓というものはなかったようです。西洋では「window」ですから風と関わり、壁に穴を開けました。日本ではまどは「間戸」、戸と戸の間のことで穴ではありませんでした。それが田中家では風通しの穴を必要としたのです。つまりここは一足早く文明開化、欧米化?。

旧田中家を後にして、藤阪駅に向かいます。

6月6日に山田池公園の菖蒲を見に来た時とは当たり前ですが、すっかり様変わり。振り返ると葉っぱが色づきだしていました。

藤阪駅で街歩きも終了。

ボランティアガイドの皆さん、お世話になりました。

こちらが本日のルートでした。