11月7日

飯盛山に行こう

集合場所 住道駅 改札出てデッキ場所

集合時間 9時10分

 

近鉄バス 生駒登山道行き

     9時30分乗車

 

今朝は、お天気に恵まれとても登山には良い日になりました。皆さん元気に出発できそうです。

大東市観光ボランティアガイド「やまびこ」様の説明を受けてから出発します。

不動尊 講徳報

桜池?

大阪市立野外活動センター

昼食はここでとります。

 

『国史跡 飯盛城跡』

 

大東市と四条畷市は、平成28年から3年かけて飯盛城跡の調査を実施。その結果、城全体に石垣が造られていたことなどが明らかになり織田信長に先駆けた「石垣の城」と考えられます。そして飯盛城跡は令和3年10月、国史跡に指定されました。令和4年には三好長慶生誕500年記念にあたり、より一層注目を集めることになっています。

山道のアップダウンが厳しく大変でしたが、皆さん全員展望台までたどり着く事ができました。

『堀切』

 飯盛城の堀切は屋根を途中で分断して、曲輪と曲輪の間や、外部から城内への簡単な行き来を防げるものになっています。現在では堀切の底面は平面的になり堀切自体の斜度も緩やかになっています。

 

『土橋』 

 山城における土橋とは、曲輪と曲輪を分断する堀切の一部を幅1メートル程度の提状の道として残したもの。平時は曲輪間の連絡路に使いますが、戦闘時にはこれを壊して曲輪の防衛力も高めることができます。

 

 

『楠正行公像』 

 

楠正行 (小楠公)1326?~1348年

 四条畷神社の主神 忠義・孝行共に全うした若き名称

 

楠正行は、千早赤坂・建水分(たけみまくり)神社近くの正成の館にて、父正成、母久子の長男として生を受けました。幼少時代は往生院六萬寺(現在の東大阪市)で学問を学び、武芸を磨きました。往生院近隣の玉串(王櫛庄)は父正成が幼少時代を過ごした有縁の地です。

 

 

『主郭』

 

山頂に構えられたⅠ郭を中心とする北エリアは防御空間として利用されました。東西の支尾根には曲輪郡が構えられ、石垣が多く築かれています。山頂の曲輪には近代建てられた楠正行の銅像と国旗掲揚台があります。

飯盛城跡と直接関係はないものの、近代の飯盛城跡と地域との関わりを考えるうえで重要なものといえます。

「大東学研都市校 飯盛山に行こう」参加者の皆さんです。

良いお天気でよかったです。

『飯盛山 展望台』

 

山頂展望台からの眺めは圧倒的です。比叡山、比良山、京都市内(京都タワーも)大山崎、高槻(芥川賞城跡)神戸、大阪平野全域、阿倍野ハルカスまで一望でき、晴天時には微かに淡路島の山形まで、三好政権の最大勢力範囲そのものの景観と言えます。

展望台から見る景色は最高でした。

『飯盛城の石垣跡』

 

飯盛城の特徴である石垣は、現在でも各所に残っています。特に高櫓郭周辺や御体塚郭の周囲は、全面的に石垣で囲われていたようです。ハイキング道の途中にありとても見やすいので、一度ご覧下さい。

 

 

『田伐兼松像』

 

大阪府の飯盛山・山頂に楠正行の銅像が建立されています。その傍に、この銅像の再建に尽力した田伐氏の銅像もあります。

「千畳敷郭(VIII郭)」後の最上段にあるNHKのの電波塔です。

南エリアの最高所に現在FMラジオの送信所が設けられています。

飯盛山からの下山です。

皆さん元気に帰ることができました。

今日 一日皆さんお疲れ様でした。

ボランティアガイド「やまびこ」の皆様、有難うございました。