【平田委員長】

 初めの挨拶

 

【熊田さん】

皆さんこんにちは。私達の大東・学研都市校は、JR学研都市線の住道駅近くにあります。

駅の通路を通って3分のところにある、大東市立生涯学習センターアクロスというところで学習しています。

住道駅から一駅松井山手寄りに野崎駅があり、

野崎駅から山側に10分ほど歩いたところに野崎観音があります。曹洞宗の慈眼寺です。

毎年、5月に1日から8日までの間、野崎詣りがにぎやかに行われています。

江戸時代には、大阪天満橋の八軒家浜の船着場から

屋形船で寝屋川をさかのぼり、片町・徳庵堤へと向かい

野崎観音にお参りする「野崎詣り」が

流行しました。

当時、関西では三大詣りというと

京都祇園の「をけら詣り」、四国讃岐の「さや橋の行き違い」

 

そして、大坂の「野崎詣り」でした。

 

野崎詣りは人形浄瑠璃や歌舞伎や落語でも表現されています。

今日は、その落語の一部の場面を演じたいと思います。

野崎観音にお参りするのに、お金のある人は屋形船で、お金のない人は歩いて参ったそうです。

 

・・・(落語)・・・

 

結局、喜六はまんまと引っかかって下を向いてしまい、負けてしまいましたね。

 

(背景には、大東市立歴史民俗資料館に提供していただいた「河内名所図会」の野崎詣りがありました。)



ところで皆さんの中に「野崎小唄」という歌をご存じの方はいらっしゃいますか。

 

・・・

 

3番の滝というのは、たぶん野崎観音から飯盛山四條畷方面にある、権現の滝でしょうか。

では、これから2番の歌詞に出てくる、お染久松の涙の恋のあらすじをお話しします。

【平田委員長】

久松のいいなづけのおみつは、久松との結婚を心待ちにしていたのですが、

久松は、奉公先油屋のお嬢様

お染と恋仲になり、子どももできてしまいました。

久松はある時冤罪に巻き込まれ、奉公先からお光の父、久作の住む野崎村に帰されてしまいました。

久作は、久松と娘お光の

祝言を、急いであげさせようとしていました。

そんな時、久作の屋敷に

久松を追ってきたお染が現れます。

久作にお染は、久松と一緒になれないなら死ぬと泣きます。

久作は、説得を試みますが、二人はその場を収めたふりをしただけで、もう死ぬしかないと思い詰めていました。

そんな二人の心中の覚悟を見たお光は、二人を救うためには、自分があきらめるより他ないと、

身を引いて出家し、尼となりました。

久作の屋敷に残されたお光は、お染と久松が去っていき、姿が見えなくなると

今まで抑えていた感情があふれ、久作にすがりついて泣き崩れるのでした。

お光のこのような献身的な行動にも関わらず、大坂に戻ったお染と久松は、心中してしまいます。

野崎観音の境内には、この物語の絵がありますので、機会があったらご覧ください。

また、お染久松の塚も残されています。

以上お話ししました野崎小唄の歌を歌いますので、よろしかったら皆さんもご一緒に歌ってください。

【平田委員長】

 最後の挨拶



これで、大東・学研都市校の発表を終わります。 ありがとうございました。


                     ー幕ー